| 名前 |
浅間聡司 |
| 出生地 |
福岡県 |
| 生年 |
1978年 |
| 所属企業 |
留学生。大連海事大学に2年間在学。目下編集・ライティング・イラスト作成の修行中。 |
| 大連滞在歴 |
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| 最終学歴 |
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| パーソナリティー |
会社在職中に営業のサボリで見た映画「少林サッカー」
止めることの出来ない閉塞の中で広がる海外志向と銀幕の熱すぎる主人公たちに触発され、
中国大連へ。「人生を劇的にする。誰もが人生劇場のヒーロー。ヒロイン」 |
| 仕事 |
職業に留学生と書いています。だったら体を張って留学生をやろうと。おかげで現地、マスコミ
に報道されました。やはり中国という国の濃さと特殊性は世界でも光っていると思います。
自分を見失いがちな外国生活。己の欠点補強に力を注ぎました。人と話すのが苦手。酒があ
まり飲めない。いろいろな人々に出会い、揉まれ、時には心の中で涙し。人の温もりを感じ。
PCを使い、何か一芸をと思い、HPを立ち上げ。
作成ソフトの熟練と画像と文章を駆使し、自分なりにメッセージを発信しました。
独り気侭ブラリが信条だった旅を同伴者に喜んでもらえる旅をと思い、個人的に企画・調整。
武術という掛け替えの無い趣味の延長。テコンドーは体育会並みにきつかった。練習を
通じて知りあった仲間(中国の大学生やコーチ)は将来・生涯つきあっていけそうです。
肝心な仕事でしたが。文化と民族という大学在学学んだことをキーワードに日本語と中国語
を生かすというシンプルな理由で、大連経済開発区で教師をしております。
四苦八苦、一喜一憂。泣き笑いの日々です。母国語の伝達と生徒さんの笑顔が今のいきがい
です。日本語教師についてですが。友人とそしてテレコムの方の紹介が学校に来たきっかけ
でした。一週間に3回。一回2時間。中日交流の掛け橋として。開発区の企業で働いている
方々へ接することも大きな刺激になるのではと思い。
生徒の方々、始め校長先生や先輩教師、同僚。みんなが輝いています。
僕も常に前向きに、輝いていきたいと触発されます。
帰国して、中国で得た一芸とバイタリティー。悠々たる態度と寛容性を最大限に発揮していき
たい。
彼は意気揚揚語っていました。目標は正社員再就職という小さな夢。マイホーム。
しかし、彼は何故中国に来た?と聞かれるたびに胸を張って「海沿いのマイホーム購入」と応
えていたことをした接した誰もが鮮明に覚えているはず。
asamaコメント
せっかくやってきた中国。勉学や人つきあいに留まらず、これをやった。これができたという達成感を
大切にしていってください。 |